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大相撲の第73代横綱・照ノ富士春雄の激動の競技人生と現在の歩み

氷室 隼人 氷室 隼人 • 更新: • 公開: • 読了約 8 分
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大相撲の土俵において、かつてこれほどまでにドラマチックで、幾多の絶望を乗り越えた力士が存在したでしょうか。第73代横綱・照ノ富士春雄は、大関昇進後に度重なる大怪我や内臓疾患に見舞われ、一時は幕下以下となる序二段まで番付を下げながらも、そこから驚異的な執念で這い上がって横綱の座にまで登り詰めた「不屈の求道者」です。本記事では、モンゴル出身の若者が日本相撲界の頂点に立ち、そして引退を経て年寄・伊勢ヶ濱として新たな道を歩み始めるまでの激動の競技人生を解説します。

照ノ富士春雄のプロフィールと大相撲における足跡

照ノ富士春雄

照ノ富士 春雄(てるのふじ はるお)は1991年11月29日、モンゴル国ウランバートル市に生まれました。本名は杉野森正山(すぎのもり せいざん)、日本国籍取得前の本名はガントルガ・ガンエルデネです。身長192cm、体重176kgという恵まれた体格を武器に、伊勢ヶ濱部屋(入門時は間垣部屋)の門を叩きました。子ども時代から歌や踊りが好きで演劇発表会の主役を務めるなど目立ちたがり屋な一面もありましたが、土俵に上がればその気迫は並みいる強豪を圧倒しました。

公式記録やWikipedia等のデータによると、2021年8月4日に日本国籍を取得し、同年9月場所からは第73代横綱として土俵を沸かせました。数々の怪我を克服して手にした優勝回数は実に多く、横綱としての責任感と「自分に嘘をつかない」という強い信念が、常に彼の原動力となっていました。私生活では2018年2月に結婚し、2022年11月には待望の第1子となる長男・照務甚(てむじん)が誕生。父親となってからも土俵での求道者としての姿勢は揺るぎませんでした。

大怪我と病気を乗り越えた「序二段陥落からの奇跡の復活」

照ノ富士の競技人生を語る上で欠かせないのが、大関から序二段への陥落と、そこからの前人未到の復活劇です。順調に出世街道を歩み大関に昇進したものの、両膝の重度な変形性関節症や内臓疾患に冒され、白星を挙げるどころか満足に土俵に上がれない時期が続きました。番付はみるみる下がり、一時は序二段にまで降下。多くの関係者やファンが「もう二度と関取の土俵には戻れないのではないか」と囁くなか、本人は決して諦めることなく治療とリハビリに耐え抜きました。

平成31年春場所初日、序二段の土俵で復帰を果たした一番(若野口戦)は、のちに本人が「思い出の取組」として挙げるほど、彼の第二の相撲人生の原点となりました。一般的に横綱や元大関が幕下以下での取組を誇らしげに語ることは稀ですが、照ノ富士は「相撲人生を2回楽しんだ」と爽やかに振り返っています。この苦難の経験こそが、のちに横綱昇進を果たす圧倒的な精神的強さを培った要因でした。

横綱昇進と不屈の優勝劇、休場を乗り越えた責任感

序二段から幕内へ返り咲き、ついに第73代横綱へと昇進を果たした照ノ富士ですが、横綱昇進後も肉体との戦いは続きました。左の肋軟骨の損傷や右の変形性膝関節症など、満身創痍の状態で土俵に立ち続けました。例えば、3場所以上連続で全休した後に迎えた復帰場所では、中日時点で優勝争いの単独トップに立ち、14日目に霧馬山を破って13勝目を挙げ、千秋楽を待たずに8度目の優勝を飾るという34年ぶりの快挙を成し遂げました。

横綱審議委員会からも「ケガの回復過程や土俵への復帰についての横綱の執念と責任感」は高く評価されており、厳しい痛みに耐えながらも土俵を務めようとする姿勢は、多くのファンの心を打ちました。しかし、限界を迎えた肉体を前に、「これ以上の気持ちと体で土俵に立つべきじゃない」と決断を下すことになります。

【比較表】照ノ富士春雄の競技人生における主要な転換点

照ノ富士春雄の激動の相撲人生における主な節目とキャリアの変遷を以下の表に整理します。

時期・タイミング 主な出来事・ステータス 備考・主な実績
1991年11月29日 モンゴル・ウランバートル市にて誕生 本名:ガントルガ・ガンエルデネ(のちに日本国籍取得)
大関時代〜陥落期 怪我・病気による休場と番付降下 両膝の故障や内臓疾患により、一時は序二段まで陥落
平成31年春場所〜 序二段からの土俵復帰 「相撲人生を2回楽しんだ」と語る復活のスタート地点
2021年9月場所〜2025年1月場所 第73代横綱として君臨 数々の苦難を乗り越えて横綱昇進、数々の優勝を重ねる
2025年6月〜現在 年寄・伊勢ヶ濱として後進の指導へ 引退後、親方として「自分に嘘をつかない力士」の育成に尽力

引退相撲と豪華な横綱土俵入り、次世代への継承

現役生活に幕を下ろした照ノ富士は、2026年1月31日に両国国技館で引退相撲を行いました。最後の横綱土俵入りでは、長男とともに土俵に上がり、露払いに大の里、太刀持ちに豊昇龍という現役横綱を従える非常に豪華で格式高い顔触れが実現しました。約330人がはさみを入れた断髪式では、入門時の師匠である宮城野が止め鋏を入れ、これまでの労苦をねぎらいました。

引退後の抱負として、師匠である伊勢ヶ濱が「横綱になったこと自体が奇跡に近い。精神力は誰よりもある」と称賛した通り、本人も「自分に嘘をつかない、自分を曲げない力士を育てたい。その力士は必ず強くなる」と指導者としての熱い決意を語っています。自身の経験した挫折と栄光のすべてが、これからの弟子育成における最大の財産となることは間違いありません。

【照ノ富士春雄】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:照ノ富士春雄の出身地や本名は?
A1:モンゴル国ウランバートル市出身で、本名は杉野森正山(すぎのもり せいざん)です。2021年8月に日本国籍を取得しています。

Q2:なぜ「奇跡の復活」と言われているのですか?
A2:大関昇進後に度重なる怪我や病気で負け越しが続き、一時は幕下以下の序二段まで番付を下げながらも、不屈の執念で大関に復帰し、さらに第73代横綱まで昇進を果たした大相撲史上初の快挙を成し遂げたためです。

Q3:現在の活動や立場はどうなっていますか?
A3:2025年1月場所を最後に現役を引退し、同年6月からは年寄・伊勢ヶ濱として日本相撲協会で後進の指導にあたっています。

第73代横綱・照ノ富士春雄の競技人生は、単なる「強い力士の記録」にとどまらず、いかに逆境に直面しようとも自らを律し、諦めずに目標へ挑み続けることの尊さを私たちに教えてくれました。序二段への陥落という絶望から横綱へと返り咲いた軌跡は、日本相撲界の歴史に永遠に刻まれる伝説です。今後は年寄・伊勢ヶ濱親方として、自らの哲学を受け継ぐ強い弟子を育て上げることで、日本相撲界の未来に大きな足跡を残していくことが期待されています。



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