2026年現在、大相撲の歴史において抜群の安定感と強烈な寄り身で土俵を沸かせた名力士の足跡を振り返る時、元関脇・栃煌山雄一郎の名前は決して外すことができません。高知県安芸市出身で春日野部屋に所属し、長年にわたり幕内の上位陣として土俵の主役を張ってきた栃煌山。本記事では、彼が残した輝かしい最高位や現役時代の数々の名勝負、そして自ら決断した引退の理由から、現在の年寄・清見潟としての指導者としての活動に至るまでの詳細な経緯を、徹底的に解説します。
栃煌山のプロフィールと大相撲における輝かしい最高位・実績

栃煌山雄一郎(とちおうざん ゆういちろう、1987年3月9日生まれ)は、高知県安芸市出身。春日野部屋に所属した元大相撲力士です。本名は影山雄一郎、愛称はカゲ。身長188cm、体重155kg、血液型A型の恵まれた体格を誇り、得意手は右四つ・寄り・もろ差し・押しでした。
いわゆる「花のロクイチ組」の1人として同期生の中でも常に注目を集め、新入幕以降も長く幕内の地位を守り抜きました。最高位は東関脇(2010年11月場所、2015年7月〜2016年1月場所)。三役の地位に幾度も返り咲き、上位総当たりの厳しい割の中で横綱・鶴竜や琴奨菊、稀勢の里をはじめとするトップ力士たちを幾度も破るなど、大相撲ファンの記憶に強く残る名勝負を数多く演出しました。
現役時代の主要な戦績・経緯と激闘の軌跡
報道各社や公式記録によると、栃煌山は怪我に苦しみながらも不屈の精神で何度も番付を盛り返してきたことで知られています。2014年5月場所では横綱・鶴竜と大関・琴奨菊を破り、二桁勝利を挙げるなど抜群の存在感を発揮しました。また、2017年7月場所では12勝3敗の好成績を収め、優勝争いに最後まで加わるなど高い地力を証明し続けました。
私生活では、2017年6月に会社員の女性と婚姻届を提出し、その後の2019年2月には東京都内で盛大な結婚披露宴を開催。約500人が出席する中、家族に支えられながら土俵人生を歩み続けました。長年の現役生活において、怪我との戦いや番付の昇り降りを経験しながらも、常に相撲に対して誠実に向き合い続けた姿勢は、多くの関係者やファンから高い評価を受けています。
【データ一覧】栃煌山の主な経歴と大相撲での軌跡
| 時期・年齢 | 主な出来事・地位 | 備考・主な実績 |
|---|---|---|
| 1987年3月9日 | 高知県安芸市にて誕生 | 本名は影山雄一郎 |
| 2010年11月場所 | 最高位・東関脇に初昇格 | 三役の地位で抜群の安定感を発揮 |
| 2015年7月〜2016年1月 | 東関脇を再び維持・活躍 | 殊勲賞受賞や横綱・大関戦での金星・勝利を重ねる |
| 2017年7月場所 | 12勝3敗の好成績 | 優勝争いに加わり、技能賞候補にも挙がる |
| 2017年6月 / 2019年2月 | 婚姻届提出および結婚披露宴 | 家族の支えを得て土俵に邁進 |
| 2020年7月15日 | 現役引退および年寄・清見潟襲名 | 春日野部屋とともにリモート会見を実施 |
栃煌山が現役引退を決断した理由とは
長年幕内の第一線で戦い続けた栃煌山ですが、2020年7月場所前の7月15日に現役引退を発表しました。引退の背景には、自ら定めた明確な引き際の美学がありました。
当時の報道や師匠である春日野親方とのリモート会見によると、栃煌山は「次に十両に落ちた時は、もう自分の区切りをつけようと思っていたので」と語っており、幕内から十両へ降格したことが自身の現役生活に区切りをつける決断の契機となりました。「子どもの頃からずっと相撲しかやってきてなかったので、寂しい気持ちはある」と率直な心境を吐露しつつも、妻には「やめることになった」と自身の言葉で引退を決意したことをシンプルに伝えたと明かしています。同部屋の栃ノ心や碧山らからは「まだまだやれますよ」と惜しむ声が上がったものの、本人の揺るぎない決意により、土俵人生に幕を下ろすこととなりました。
現在の年寄・清見潟としての活動と指導者への道
引退と同時に日本相撲協会の年寄名跡「清見潟(きよみがた)」を襲名した栃煌山。現在は春日野部屋の部屋付き親方として、後進の指導にあたっています。
引退会見の際、指導者としての抱負について「相撲に対して真面目で、我慢強く粘り強さをもった、そういう力士になれるように育てていきたい」と強い意気込みを語っていました。自身が長年、厳しい稽古や怪我を乗り越えて培ってきた技術や精神力は、現代の若い力士たちにとって何よりの財産となっています。土俵を支えた職人肌の取組スタイルは、現在の親方業における丁寧で実直な指導にもしっかりと受け継がれています。
【栃煌山】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:栃煌山の最高位はどこですか?
A1:最高位は東関脇です。2010年11月場所および2015年7月〜2016年1月場所などで務め、長年にわたり三役の常連として活躍しました。
Q2:引退を決断した主な理由は何ですか?
A2:本人が「次に十両に落ちた時は、もう自分の区切りをつけようと思っていた」と語っている通り、幕内の地位を手放したことを契機に自ら引き際を判断しました。
Q3:現在の活動内容はどうなっていますか?
A3:現役引退後は年寄「清見潟」を襲名し、春日野部屋の親方として後進の指導や育成に尽力しています。
栃煌山雄一郎という力士は、派手なパフォーマンスこそ控えめであったものの、真っ向からの右四つと妥協のない厳しい稽古で大相撲の土俵を長年支え続けた真の实力者でした。怪我や番付の降下といった逆境に直面しても、自らの信念を曲げずに行動し、引き際においても潔く美学を貫いたその姿勢は多くのファンの敬愛を集めました。現在、年寄・清見潟として春日野部屋で未来の関取を育てる親方としての新たな道を歩み始めており、その厳しくも温かい指導から今後どのような名力士が誕生するのか、大相撲界の未来においてますます期待が寄せられています。