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中核派と革マル派の違いとは?新左翼セクトのルーツと警察庁が示す現在

氷室 隼人 氷室 隼人 • 更新: • 公開: • 読了約 9 分
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日本国内の政治史や治安情勢を語る上で避けて通れないのが、いわゆる「新左翼」と呼ばれる政治セクトの存在です。その中でも「中核派」と「革マル派」は、かつて激しい内ゲバ(党派間の暴力闘争)を繰り広げたことで知られ、現在に至るまで警察庁や公安当局の厳しい警戒対象となっています。しかし、名前が似ていることや同じ全学連の流れを汲むことから、「具体的に何が違うのか」「それぞれの思想や現在の動向はどうなっているのか」と疑問に思う人は少なくありません。

本記事では、中核派と革マル派の決定的な違いや歴史的ルーツ、対立の背景、そして警察庁が示す現在の実態について、客観的な事実と歴史的経緯に基づき分かりやすく紐解きます。

中核派と革マル派の決定的な違いとは?基本スタンスの比較

中核派革マル派違い

中核派と革マル派は、いずれも1960年代の安保闘争や全学連運動を発祥とする新左翼の代表的な一派です。同じマルクス・レーニン主義やトロツキズムを標榜しながらも、なぜ両者は激しく対立するに至ったのでしょうか。その違いを理解するための基本軸となるのが、「党派の組織運営に対する考え方」と「国家権力や日本共産党との距離感」です。

中核派(正式名称:革命的共産主義者同盟全国委員会)は、実力闘争を重視する傾向が強く、労働者階級や学生を巻き込んだ直接的な大衆運動や実力行使を前面に出してきました。一方、革マル派(正式名称:日本革命的共産主義者同盟革命的共産主義者同盟再建協議会)は、組織の防衛や秘密主義を極めて厳格に貫き、体制側や敵対勢力に対する浸透工作などを指摘されることが多いセクトです。思想的な細部の解釈や、党組織のあり方を巡る不一致が、やがて取り返しのつかない亀裂を生むことになりました。

以下の表に、中核派と革マル派の主な特徴や違いを整理します。

比較項目 中核派(革命的共産主義者同盟全国委員会) 革マル派(日本革命的共産主義者同盟再建協議会)
発足・ルーツ 1950年代末〜1960年代初頭の革共同分裂に由来 革命的共産主義者同盟(革共同)からの派生
活動の傾向 大衆運動や実力闘争、労働組合への働きかけを重視 組織防衛、秘密主義、大学や社会各層への浸透工作
公安上の位置づけ 過激派セクトとして警察庁が警戒・監視 過激派セクトとして警察庁が警戒・監視
過去の主な抗争 革マル派との間で多数の犠牲者を出す激しい内ゲバ 中核派との間で多数の犠牲者を出す激しい内ゲバ

新左翼セクトの誕生と歴史的ルーツ:全学連から分裂へ

中核派と革マル派の歴史を辿るには、戦後の日本政治と学生運動のうねりを見る必要があります。戦前の日本共産党の戦術を批判し、より急進的な革命を目指す流れの中から、1950年代後半に「革命的共産主義者同盟(革共同)」が結成されました。これがすべてのルーツです。

しかし、革共同は組織内の主導権争いや、国際情勢・運動方針(武装闘争をどう位置づけるかなど)を巡る意見の対立から、早くも分裂の危機を迎えます。1959年には、のちに中核派の母体となるグループと、革マル派の母体となるグループが袂を分かつことになりました。

その後、1960年代の安保闘争やベトナム反戦運動の高まりとともに全学連(全日本学生自治会総連合)が分裂。各派はそれぞれの旗の下で勢力を拡大し、大学キャンパスや労働現場を舞台に激しい主導権争いを繰り広げました。この時期、警察庁などの治安当局も彼らを「極左暴力集団」または「過激派」と位置づけ、警戒を強めていくことになります。

泥沼化した内ゲバの歴史と、その背景にあるもの

中核派と革マル派の歴史的経緯において最も暗い側面が、両派の間で繰り広げられた「内ゲバ」です。これは単なる意見の相違を超え、互いの組織員を標的とした襲撃や殺害事件に発展しました。

1970年代から1980年代にかけて、東京をはじめとする各地で、両派のメンバーが鉄パイプや凶器を用いて襲撃し合う事件が相次ぎました。この抗争により、双方合わせて多数の死傷者が発生し、一般市民を巻き込む危険性も社会問題となりました。警察庁の公式記録や当時の報道によると、こうした暴力の連鎖は組織の存続をかけた防衛本能と、相手派閥に対する徹底的な敵対心からエスカレートしていったと分析されています。

内ゲバの恐怖は、新左翼運動全体に対する世論の支持を急速に失わせる決定打となりました。一般社会からの遊離が進むにつれ、両派はそれぞれ独自の組織防衛や資金獲得活動に移行せざるを得なくなっていったのです。

警察庁が示す現在の動向:衰退と潜伏の実態

2026年現在、中核派および革マル派は、かつてのような数十万人規模の学生や労働者を動員する政治的影響力をほぼ失っています。しかし、警察庁や公安調査庁が発表する治安関連の白書等によると、両派ともに組織としての活動を完全に停止したわけではありません。

中核派は、一般の市民運動や労働組合、反戦・反基地運動などに「入り込む」形で独自の主張を訴え続けています。近年では、インターネットやSNSを活用した情報発信や、若年層をターゲットにしたオルグ活動を模索している動向も指摘されています。一方の革マル派も、表立った大規模な事件を起こすことは少なくなったものの、その組織実態や資金源、内部構造については依然として厳重な秘密主義が保たれています。

警察庁は、これら過激派セクトが現在も不法な実態を秘匿しながら活動していると見て、情報収集と警戒を続けており、社会の安全保障上、継続的な監視対象としています。

一般の人が見分けるポイントと、現在の社会における距離感

日常生活を送る中で、中核派や革マル派の構成員や関連団体と直接接触する機会は極めて稀です。しかし、大学のキャンパス周辺や一部の労働組合関連のチラシ、あるいは特定の政治集会の看板などにおいて、その痕跡を見かけることがあります。

見分ける際のポイントとしては、用いられるスローガンや団体の正式名称、掲げられる旗のデザイン(中核派であれば赤地に白文字や独自のマーク、革マル派であれば特有の表現など)がありますが、一般の人がそれらを詳細に識別する必要性は高くありません。重要なのは、過激な政治運動を掲げる団体がどのような歴史や背景を持っているかを客観的に理解し、安易に近づかないことです。

【中核派革マル派違い】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:中核派と革マル派は、もともとは同じ組織だったのですか?
A1:はい。1950年代末に結成された「革命的共産主義者同盟(革共同)」をルーツとしており、その後の路線対立や主導権争いによって分裂した経緯があります。

Q2:なぜ両者はそこまで激しく対立(内ゲバ)したのですか?
A2:革命の戦略や組織運営の方針を巡る意見の違いに加え、相手派閥を打倒しなければ自分たちが生き残れないという過激な思想や報復の連鎖が、泥沼の抗争を生む原因となりました。

Q3:現在でも一般の人が被害に遭う危険性はあるのですか?
A3:かつてのような市街地での激しい内ゲバや大規模な衝突は大きく減少していますが、警察庁は現在も両派の動向を「極左暴力集団」として厳重に警戒・監視しています。

中核派と革マル派の違いは、単なる名称の差異ではなく、戦後の日本政治の混乱期から続く新左翼の思想的分岐と、血を流した抗争の歴史に根ざしています。両派はかつて激しい内ゲバを繰り広げ、社会に大きな衝撃を与えましたが、現在はその勢力を大きく衰退させています。

しかし、警察庁などの動向が示す通り、組織の潜伏や形を変えたアプローチは続いており、その歴史的背景や実態を知ることは、現代の社会情勢や治安の仕組みを冷静に読み解く上で重要な視点となります。

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氷室 隼人

取材デスクとして10年以上の取材経験。geinou領域の公式発表・配信元の告知を一次情報として確認し、確認できない情報は記事に含めない方針です。

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