大相撲の土俵で長年にわたり激しい取組を繰り広げ、現在は高砂部屋の師匠として後進の指導にあたる元関脇・朝赤龍。モンゴル国ウランバートル市出身の力士として早くに来日し、日本国籍を取得して角界の発展を支えたその歩みは、多くの相撲ファンの記憶に深く刻まれています。
本記事では、朝赤龍の現役時代の輝かしい戦歴や最高位への道のり、日本国籍取得の決断、そして引退後の錦島襲名から高砂部屋継承に至るまでの詳細な経歴と現在を解説します。
朝赤龍の原点と来日:明徳義塾高校からの相撲人生

朝赤龍太郎(本名:バダルチ・ダシニャム)は1981年8月7日にモンゴル国ウランバートル市で生まれました。父はブフ(モンゴル相撲)のナチン(小結)という相撲一家に育ち、幼少期にはナーダムの競馬大会に出場するなど、優れた身体能力と運動神経を培っていました。
転機となったのは、同じくモンゴル出身で兄弟子となる朝青龍とともに来日し、高知県の明徳義塾高等学校へ留学したことです。1997年9月6日の初来日の際、飛行機搭乗に強い印象を受けたエピソードは有名で、窓側の席を譲り合いながら日本の土を踏んだといいます。
高校卒業後、大学進学か相撲部屋入門かで迷ったものの、朝青龍と同じ若松部屋(当時)へ2000年1月に入門し、初土俵を踏み出しました。この決断が、のちの幕内を賑わせる名力士の誕生へとつながっていきます。
最高位・西関脇への到達と現役時代の輝かしい戦歴
入門後は持ち前の恵まれた体格と優れた技術を武器に着実に番付を上げ、スピード出世と安定した取組で角界の注目を集めました。得意手である右四つからの寄りや投げを武器に、長年にわたり幕内の上位陣と互角に渡り合い、相撲ファンを魅了しました。
キャリアの絶頂期となった2007年9月場所および同年11月場所では、自身最高位となる西関脇に昇進。三役の土俵でも強烈な存在感を放ち続けました。長きにわたる現役生活では数々の名勝負を生み出し、けがや苦難を乗り越えながら土俵に立ち続けた姿勢は、多くの後輩力士たちの模範となりました。
朝赤龍の主な経歴と歩み年表
朝赤龍の入門から現在に至るまでの重要なマイルストーンを、分かりやすく表にまとめました。
| 時期 | 出来事・主な実績 | 備考 |
|---|---|---|
| 1981年8月7日 | モンゴル国ウランバートル市で誕生 | 本名:バダルチ・ダシニャム |
| 1997年9月 | 明徳義塾高等学校への留学のため初来日 | 朝青龍とともに飛行機で初来日 |
| 2000年1月 | 若松部屋(当時)へ入門し初土俵 | 本格的な角界人生がスタート |
| 2007年9月・11月 | 最高位・西関脇に昇進 | 三役として幕内上位で活躍 |
| 2018年2月4日 | 両国国技館で引退相撲・断髪式を実施 | 師匠の高砂親方が止め鋏を入れる |
| 現在 | 年寄・高砂として高砂部屋の師匠を務める | 日本国籍を取得し、後進の指導に尽力 |
日本国籍の取得と引退相撲:土俵から指導者の道へ
現役生活の晩年を見据え、朝赤龍は日本相撲協会に残って親方として後進を指導する道を歩むため、日本国籍の取得という大きな決断を下しました。相撲界に身を捧げ、日本の文化と伝統を深く理解した上での選択でした。
2018年2月4日には、両国国技館にて引退相撲が行われました。断髪式前に行われた「朝赤龍最後の土俵入り」では、当時4歳だった長男が土俵入りを直前に嫌がって泣いてしまうという微笑ましいハプニングもありつつ、1人での力強い土俵入りを披露しました。長女からの花束贈呈や、約250人の関係者による鋏入れが行われ、最後は師匠の高砂親方が止め鋏を入れて現役生活に正式な幕を下ろしました。
現在の活動:高砂部屋の師匠としての現在地
引退後は年寄・錦島を襲名し、高砂部屋の部屋付き親方として指導者のキャリアをスタートさせました。その後、伝統ある高砂部屋の師匠を継承し、現在は一門の舵取り役として、次世代を担う力士たちの育成に全力を注いでいます。
自身の豊富な幕内経験や関脇としての高い技術、そして外国出身力士として日本で生き抜いてきた知見を活かし、礼儀作法から相撲の技術まで丁寧に指導。現代の相撲界において、厳しさと温かさを兼ね備えた名伯楽として、関係者やファンの期待を集めています。
【朝赤龍】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:朝赤龍の最高位は何ですか?
A1:2007年9月場所および同年11月場所に記録した西関脇が最高位です。
Q2:朝赤龍の本名やモンゴルでの名前は何ですか?
A2:本名はバダルチ・ダシニャム(Badarch Dashnyam)です。
Q3:現在はどのような活動をしていますか?
A3:日本国籍を取得後、現在は年寄・高砂として伝統ある高砂部屋の師匠を務め、後進の指導にあたっています。
元関脇・朝赤龍の歩みは、モンゴルからの留学という若き日の挑戦から始まり、幕内上位での輝かしい戦歴、そして日本国籍の取得と指導者への転身という、一貫した情熱と決断の連続でした。
現役時代に培った卓越した技術と精神力は、現在の高砂部屋の師匠という立場にしっかりと受け継がれています。伝統を守りながら新たな時代を切り拓く朝赤龍親方の今後の活躍と、高砂部屋から巣立つ若手力士たちの躍進から今後も目が離せません。