2026年現在も世代を超えて歌い継がれている名作童謡「おつかいありさん」は、戦後の日本においてどのようにして生まれたのでしょうか。幼児の日常をユーモラスかつ温かく切り取ったこの楽曲の裏には、従来の商業的な童謡に対する強い問題意識と、若きクリエイターたちの熱意がありました。
本記事では、1950年のNHKラジオ番組での誕生背景や、作詞を手がけた関根榮一と作曲を担当した團伊玖磨にまつわる知られざる制作秘話を解説します。
昭和25年のNHKラジオから生まれた背景と時代の空気感

戦後の混乱がまだ色濃く残る1945年(昭和20年)10月、NHKは戦争の激化で一時中断していた幼児番組『幼児の時間』の放送を再開しました。さらに1949年(昭和24年)8月からは『うたのおばさん』が新設されるなど、子供向けの音楽・放送文化の再構築が急ピッチで進められていました。
当時の童謡シーンには、レコードを中心に広められる「レコード童謡」が数多く存在していました。しかし、これらはしばしば商業的利益が優先され、幼児の実際の生活や感覚からはかけ離れた内容になっていたという背景があります。また、歌い手は童謡歌手と呼ばれる少女が主体で、愛らしい振り付けで大人の目を引くことが期待される傾向にありました。
こうした状況に危機感を抱いたNHKは、幼児番組の再構築にあたり大きな方針転換を図ります。作り手には若いながらも本格的に音楽を学んだ作曲家を起用し、歌い手には歌唱経験の豊かな「おばさん」を起用することで、大人の鑑賞用や商業目的ではなく、真に幼児のための歌を作り出そうとしたのです。『おつかいありさん』も、まさにこうした新しい時代と理念の流れの中で誕生した名作の一つでした。
作詞家・関根榮一の偶然の出会いと独自の視点
『おつかいありさん』の歌詞を手がけた関根榮一は、当時私鉄の駅員として働いていました。もともと詩を書くことは好きだったものの、童謡の制作には特に関心を持っていなかったと伝えられています。
転機となったのは、戦時中に同じ職場で働いていた作曲家と町で偶然再会したことでした。その友人にNHKを紹介され、幼児向けの歌を書かないかと勧められたことがきっかけとなり、作詞の世界へと足を踏み入れることになります。関根が「童謡」と言われて真っ先に想起したのは北原白秋の作品でしたが、幼児が白秋のような高度な詩を理解できるはずがないと考え、幼児が普段生活する身近な範囲にあるものを、そのままの視点で描く道を選びました。
こうして1950年3月15日に完成した詞は、唐突な導入が目を引き、軽快な擬態語をふんだんに盛り込んだ内容となりました。科学的に見れば、実際の自然界において衝突回避能力に優れたアリが意図せず他のアリとぶつかってしまうという設定にはやや不自然な点があるものの、それ以外の描写は極めて正確かつ健康的であり、単純明快でありながら幼児が直感的に親しめる素晴らしい仕上がりとなりました。
【比較表】『おつかいありさん』誕生を取り巻く制作体制の変遷
| 項目 | 戦前〜戦中までの童謡シーン | 1950年『おつかいありさん』以降の転換 |
|---|---|---|
| 制作の主眼 | 商業的利益や大人の目を引く演出が優先 | 幼児の生活圏に寄り添った真の子どものための歌 |
| 歌い手・表現 | 童謡歌手の少女による愛らしい振り付け主体 | 歌唱経験豊かな「おばさん」による歌唱 |
| 音楽・作詞家 | 流行歌的なアプローチが主流 | 本格的に音楽を学んだ若手作曲家や新鮮な視点の詞 |
| 主な関係人物 | レコード童謡の制作者たち | 関根榮一、團伊玖磨 ほか |
作曲家・團伊玖磨との協働が生んだ名フレーズの化学反応
完成した詞をNHKに持ち込んだ関根は、作曲者の希望を尋ねられた際に「自分と同年代の作曲家がよい」と希望を伝えつつ、具体的な人選は担当者に一任して帰宅しました。
そこで白羽の矢が立ったのが、当時若手として頭角を現していた本格派の作曲家・團伊玖磨でした。関根の紡いだリズミカルでユーモラスな言葉の数々に、團が生き生きとしたメロディを吹き込んだことで、楽曲は一気に生命力を獲得しました。
1950年代、團はこの『おつかいありさん』の大ヒットに続き、『ぞうさん』『やぎさん ゆうびん』といった動物をモチーフにした名曲を次々と世に送り出していきます。一方の関根も、『おつかいありさん』の成功をきっかけに本格的に子供向けの作品を手がけるようになり、のちの『かえるのうた』でも再び團伊玖磨とコンビを組んで共作を果たしています。二人の才能の出会いは、日本の童謡史における黄金期を築く大きな原動力となりました。
後世への影響と関根榮一のたどった足跡
ラジオ放送を通じて日本中の子供たちに愛されるようになった『おつかいありさん』は、その後も音楽の教科書に採用されるなど、時代を超えたスタンダードナンバーとして定着していきました。
作詞を手がけた関根榮一は、私鉄の駅員という異色の経歴から出発しながらも、子どもの目線に徹底して立った詩作を続け、日本の童謡文化の底上げに多大な貢献を果たしました。1975年(昭和50年)には、これまでの集大成となる童謡集を『おつかいありさん』の題名で出版し、その長年の功績が評価されて日本童謡賞・赤い鳥文学賞特別賞を受賞しています。
ただ身近な虫の様子を描いたように見えて、その背景には「大人の商業主義から子どもを取り戻したい」という当時の放送関係者やクリエイターたちの真摯な願いと、偶然の出会いから生まれた奇跡的な化学反応があったのです。
【おつかいありさん】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:『おつかいありさん』が生まれた年はいつですか?
A1:1950年(昭和25年)にNHKのラジオ番組『幼児の時間』のために制作されました。
Q2:作詞を手がけた関根榮一はもともと童謡作家だったのですか?
A2:いいえ、当時は私鉄の駅員として働いており、戦時中の知人との再会をきっかけに初めて童謡の作詞を手がけました。
Q3:作曲を担当した團伊玖磨はこの曲のあと、どのような作品を手がけましたか?
A3:『おつかいありさん』のヒットに続き、『ぞうさん』や『やぎさん ゆうびん』、『かえるのうた』など、数々の動物をテーマにした名作童謡を次々と発表しました。
『おつかいありさん』という一曲の童謡は、単なる可愛らしい動物の歌という枠にとどまらず、戦後の厳しい時代の中で「本当に子どものための音楽とは何か」を突き詰め、新しい表現を切り拓いたクリエイターたちの情熱の結晶です。
私鉄の駅員だった関根榮一の瑞々しい観察眼と、若き天才作曲家・團伊玖磨の洗練されたメロディの融合は、時代が変わっても色褪せない普遍的な魅力を放ち続けています。2026年を生きる私たちが改めてその誕生秘話に触れるとき、身近な日常の中にこそ豊かな文化の種が眠っているという事実を、強く実感させられるのではいでしょうか。